長崎県民の守護神・長崎県忠霊塔の御威徳
長崎県大村市三城町。
昭和九年の日、長崎県民の総意と深き敬慕の念のもと、往古三城城の本丸にあたりしこの霊峰の高地へと建立され、以来、風雪に耐えつつ厳然として鎮まり坐し、今なお変わらぬ威容と清浄なる気をもって県民の祈り奉り来たり給う「長崎県忠霊塔」。
実に長崎県籍六万七百余りの御柱の合祀と戦没者の納骨をうけている。
この地は、時を超えて県民の祈りと真心を静かに受け賜り、遥か遠き過去より未だ見ぬ未来へと連綿と受け継がれてゆく“霊性の道”を、清き光にて照らし導き給う、まさしく比類なき聖域である。
本殿前に立つとき、人々はただ慰霊のために手を合わせるのではない。
その奥に、県民を守護する御柱としての威厳と、浄明なる気配を確かに感じ取る。
忠霊塔は、今なお息づく精神(こころ)の源泉、そして 「祈りの系譜」 を紡ぎ続ける永遠の霊所である。
戦中――祈りと覚悟が交錯した聖域
往昔、戦禍の世。
ここ忠霊塔は、出陣に臨む兵士らが武運長久を深く祈り奉り、出陣式も厳粛に執り行われ、家族・親類・友人・同僚らが一身に無事の帰還を願い寄り添った、まさしく祈念と覚悟の満ちる霊域であった。
塔前には、数えきれぬ涙と祈りが幾重にも折り重なり、壮烈なる決意と、わずかながらに託された希望とが静かに交わり響き合う、“魂の交響”が確かに存在していたと察せられる。
その祈りは、ただ悲壮なる覚悟に留まらず、いずれ必ず訪れると信じてやまぬ 平和への希求 を内に秘めていた。まさに当時の県民にとって、忠霊塔は揺るぎなき「心の依処」であり、祖国を想い、故郷・里国である長崎への誓いを深く胸に刻む象徴であったのである。
戦後――慰霊と再生を司る精神の御柱
終戦後、焦土と化した長崎にあって、人々は深い悲嘆と虚無の只中に立ち尽くしつつも、時が緩やかに巡るにつれ、やがて静かに、しかし確かな歩みで忠霊塔へと帰ってきた。
失われた命への鎮魂、なお生き残った者として踏みとどまり進むための誓い。
人々の祈りは、再びこの塔を精神の中心として静かに集まり始めたのである。
また、その頃には、戦火に倒れた多くの同胞が御英霊として丁重に合祀され、塔は一層の荘厳さを帯び、県民が心を寄せる永遠の霊座としての面影を深めていった。
やがて慰霊祭・追悼式が厳粛に執り行われるようになると、忠霊塔は「慰霊」と「再生」をともに担う精神的支柱としての役割をいよいよ確固たるものとしていく。
塔前に立ち、懐かしき名をそっと呼び、まるで語りかけるように祈るその姿は、宗教や思想といった垣根を静かに越え、次第に“人としての祈り”そのものへと帰していった。
そこには、「二度と戦禍を許してはならない」という、静かにして揺らぎなき誓いが確かに息づき、御英霊の存在がその誓いを永劫に支え続けているのである。
現代――清浄と導きを支える
戦後八十年を迎えた今の年。
忠霊塔の御威徳とは、いかなるものであろうか。
それは、単なる追悼の場を超え、日々に生きる者の心を浄め、正し、導く“光”そのものである。
清掃奉仕に集う人々は、口々にこう語る。
静寂の中に澄み渡る気配、落ち葉を拾い、草を刈り、石畳を磨くたびに満ちる凛とした気持ち。
奉仕は、過去を敬うと同時に、己が心を整え、人生を正しく進むための祈りの行為 である。
また近年、忠霊塔は平和教育の場としての意義を新たに帯びている。
子どもたちはここで歴史を学び、若者は奉仕によって命の尊さを悟り、世代を越えた心の交流が自然と芽生えてゆく。
そこに流れるのは、宗派や思想を超えた 「人としての感謝」。
これこそが忠霊塔の御威徳であり、私たちの暮らしを今も静かに支えている。
忠霊塔の御威徳――永遠なる守護の証
忠霊塔に宿る御威徳とは、
英霊の献身によって守られた国土への感謝、
そして県民一人ひとりの祈りが結晶した“目に見えざる守護”である。
それは風に揺れ、光に宿り、訪れる者の胸の内に清らかな響きをもたらす。
これから先も、長崎県忠霊塔は長崎県県民の守護神として時代を越えて人々の心を見守り続けるであろう。
祈りが絶えることなく捧げられる限り、
また、平和への願いが脈々と続く限り、
その御威徳は永遠に揺らぐことはない。
執筆:神 葵(長崎県忠霊塔奉仕人・長崎県忠霊塔敬事会会長)